原発事故被害の「否認」を乗り越える

次世代に伝えていくために


出典:東京電力ホールディングス

弊法人の10年間の活動のうち、「記録を残す」ことに意識的になったのは清水奈名子宇都宮大学教授の言葉に触れてからでした。
清水教授は、朝日新聞栃木県版での連載「被災者12人の証言」において、栃木県北の被災者証言集作成の理由に、「記録が残っていないので、そのような被害はありません」と言われることを危惧したためと書いています。そして、弊法人主催の勉強会の講演では、戦争において優先的に保護されない市民と東京電力福島第一原発事故で被災した市民との相似を指摘し、被害者の声を記録にまとめることの重要性を説きました。
これらの言説を受けてこの項では、清水教授に原発事故後の政府や専門家への批評、そして、記録を整理して次世代に伝える重要性を解説していただきます。


宇都宮大学国際学部教授

清水奈名子

国際機構と人間の安全保障について専門的に研究し、2006年に博士号を取得。2007年10月より、宇都宮大学国際学部で「国際関係論」「国際機構論」を教えている。日本平和学会、日本国際政治学会他に所属。宇都宮大学国際学部附属多文化公共圏センター「福島原発震災に関する研究フォーラム」メンバーとして、福島県からの避難者および栃木県の放射能汚染地域被災者への聞き取り調査、アンケート調査等を実施してきた。近著に、清水奈名子著「人権問題としてのジェンダー格差  ──東電福島原発事故被害から考える」『ジェンダー研究』第24号(2022年)髙橋若菜編著・清水奈名子他著『奪われたくらし —原発被害の検証と共感共苦』日本経済評論社(2022年)がある。

はじめに 事故の風化と語られない被害


2011年、政府の事故対応をはじめとして世間では事態を過小 評価する傾向が強く、それを評して「見ざる聞かざる言わざる」 と例えられることがありました。

2011年3月11日、福島県双葉郡大熊町にある東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)における過酷事故が発生してから、10年が経過しました。事故直後、「計画停電(※1) の実施や節電の奨励によって街は暗くなり、新聞には連日各地の空間線量率が記載されていました。避難指示が出ていなくても、放射能汚染が心配される地域では、福島県内外を問わず遠隔地に避難する人々が続出しました。他方で簡単に移動できない事情があり、汚染の影響が懸念される東北・関東地域で事故後も暮らし続ける選択をした人々も、外出時にマスクをつけ、余震が続くなか、次の緊急時にはいつでも避難できるように、車のガソリンを満タンにしておく習慣が生まれました。
東北と関東地方では放射性ヨウ素やセシウムが野菜や水道水から検出され、缶詰やミネラルウォーターのペットボトルの品薄状態が続くことになりました。テレビや新聞では事故関連の報道が毎日続き、大きな書店をのぞけば、目立つ場所に原発事故の特設コーナーが設けられ、関連する雑誌や書籍が次々に出版されていました。「ヨウ素」「セシウム」「ベクレル」「シーベルト」などの、それまで馴染みのなかった単語が急速に社会に広まっていったのも、この時期でした。そして大きな余震が発生するたびに、福島第一原発に異変が無かったか、その都度ニュースで確かめなければ落ち着かない、この事故が今後どうなるかわからない、という緊迫した空気(※2)は、少なくとも事故から数カ月間は続いていたと記憶しています 。
それから10年が経過した2021年現在、事故当初の緊迫した空気は弛緩し、まるで事故とその被害は終わっているかのように感じられます。節電の際には消えていた照明は再び煌々と灯り、夏に電車に乗れば冷房によって寒いほど冷やされ、多大な電力消費を必要とする高層ビルが、次々と新たに建設されています。メディアによる報道も、毎年3月11日前後の震災特集を除けば大幅に減少し、復興に関する話題に比べると、継続する被害についての報道はまばらになっています。筆者が原発震災被害関連の調査や研究を現在も続けていると話すと、「まだ続けているのですか、もう原発事故は収束しているはずでしょう」と驚かれることも多くなりました。


※1【計画停電】
平成23年の『消防白書』によれば、計画停電とは「電力需要が電力供給能力を上回ることによる大規模停電を避けるため、電力会社により一定地域ごとに電力供給を順次停止又は再開させること」。東日本大震災が発生した2011年の3月14日から28日まで、東京電力管内において断続的に実施された。
出典: 総務省消防庁ウェブサイト 『平成23年 消防白書』より引用。(なお、本稿におけるインターネット上の資料の閲覧日は、2021年1月20日である)

※2【緊迫した空気】  
事故直後の緊迫した状況に関しては、数多く出版されている被災者による体験記に詳しい。事故や放射性物質の拡散に関する詳細な情報が得られないまま、多くの人々が強く不安を抱えて避難を強いられた様子が記録されている。
出典:秋山豊寛(2011)『原発難民日記 ―怒りの大地から』(岩波ブックレットNo.825)岩波書店、
海南友子(2013)『あなたを守りたい ―3.11と母子避難』(子どもの未来社ブックレットNo.002)子どもの未来社、森松明希子(2013)『母子避難、心の軌跡 ―家族で訴訟を決意するまで』かもがわ出版。


東日本大震災は地震・津波だけでなく、最悪の原発事故 も引き起こし、それまでの日常を過去のものにしました。福島市主催 震災復興パネル展(撮影:2021 年 1 月)