ホットスポット 原発事故の跡形

炉心溶融を起こした福島第一原発1号機から3号機のうち、内陸へもっとも影響を及ぼしたのは、2号機からの放射性物質だと言われています。2号機は建屋の爆発こそ起こしませんでしたが、放出された放射性物質は気流に乗って北西方向へ流れ、浪江町から飯舘村を通って中通りへと抜けました。
福島県内において、中通りは国道4号線、東北自動車道、東北新幹線といった交通の大動脈が走り、もっとも人口が密集している地域です。そして、福島市と郡山市はそれぞれ県都、商都と呼ばれ県の中枢を担っています。それゆえか、それぞれの市は街の中心部が比較的高濃度に汚染されましたが、強制避難などの対象 (※1) とはなりませんでした。
しかし、人の都合とは関係なく生活圏にはホットスポット (※2) が形成され、また、空間線量計を持たねばそれらを確認することもできませんでした。だからこそ、空間線量率を調べはじめることが、ふくしま30年プロジェクト発足へといたる最初のきっかけになりました。
ここでは事故から2年が経過した2013年春、ふくしま30年プロジェクトが発見した公共施設敷地内のホットスポットについて振り返ります。避難ではなく、徹底的な除染を選択した自治体内での活動において、団体として悩み逡巡したことを記します。

阿部浩美

NPO法人ふくしま30年プロジェクト副理事長

インタビュー:ふくしま30年プロジェクト
(2021年1月28日@ZOOM)

どんぐりとホットスポット

ー2013年、駐車場での高濃度汚染土壌の発見は、今振り返るとどういった意義があったのでしょうか?

阿部 当時、そもそもは「どんぐりに含まれるセシウムはどれくらい?」という話があったんです。それでちょうど、初期のCRMS福島(現・ふくしま30年プロジェクト)スタッフが県立図書館に行った時に、駐車場の吹き溜まり部分に気づきました。土や砂が集積しているところにどんぐりもいくつか集まっていて、当時はすでに「どういうところにセシウムが溜まりやすいか」という話題のある時期でした。「これは高いんじゃないか」ということで、直にガイガーカウンターを置くと、確か4 μSv/hくらいあったんです。
それですぐに経緯と事情を共有して、当時は福島駅前のパセナカ Misse(ミッセ)にあったCRMS福島で測定、ホットスポットの存在が判明しました。
当時県立美術館と図書館は、すでに「除染は済んでいる」という話でした。でもそれは全体ではなく、庭園内の芝生の方 (※3) で、駐車場の方は手付かずだったんです。だから、ホットスポットがそんなかたちで野ざらしになっていたとは、僕たちにとって予想外でした。当然、「これはもっと詳しく調べよう」ということになりました。
その前には、あれは4月の下旬頃、当時熱心だった朝日新聞の記者さんとプールの汚泥 (※4) の汚染を発信した経緯もありました。その流れで「いや、実は」と、「公共施設にホットスポットがあった」ということを同じ記者さんと共有したんです。

ーホットスポットの公表は、報道との抱き合わせが賢明との判断だった。

阿部 「そちらの方が世間に訴えられる」という風に考えました。
当日、駐車場の吹き溜まりの話を聞いたのは、夕方5時頃でした。その話を記者さんにすると、「これはまた特ダネになるのでは」という対応でした。ですので日が暮れた後、夜7時頃に県立図書館の駐車場に行って、暗い中で測ってみるとやはり3.8 μSv/hほどありました。


福島県立図書館の駐車場の隅にたまったどんぐりと土。横に置いた空間線量計は3.8μSv/hを示していました。(撮影:2013年4月29日)


ー空間線量で3.8 μSv/hということは、ベクレルで測った時の数値が怖いです。

阿部 同行した記者さんは「ここでこの状況ということは、市立図書館にも似たような場所があるのでは」という直感が働いたようで、「これから行きましょう」と実際に行きました。すると、市立図書館の駐車場では、空間線量で県立よりも高い値が出たんです。それで「これは、、マズいね」と。
そこで記者さんは、「とにかくスクープだ」ということで動き出しました。
ただ、当時のCRMS福島内部では、プールの汚泥問題に続けてホットスポットを発表するということに、一種の逡巡があったんです。


賽の河原のごとく

ーその逡巡とは、何に対してですか?

阿部 端的に言えば「キリがないよね」ということでした。2013年当時、その気になって街中で探せばそこら中に類似の場所が見つかるのは、ある意味で予想がついていました。福島市の方針としてはまず宅地除染からはじまっていたので、駐車場のプライオリティは低かったはずです。
ですから、「キリがない中測って発表し続けても虚しい」という意見があったというか、これにはそもそもの前提に、プールの汚泥の測定と結果がありました。

ープールの汚泥は、ベクレルの数値はどれくらいあったんですか?

阿部 あの時は汚泥を乾燥させなかったのでベタベタな状態で、10万 Bq/kgありました。
その時は記者会見をしたり、県に要望書を持って行ってニュースにもなったんですが、報じられ方として、行政のいいようなかたちにされてしまったんです。それで「こんなことしても利用されるだけだ」みたいな意見も出てきていました。
つまり、こちらからは申し入れで、貯水池とか農業用ため池のデータもとるべきという内容だったのが、それに対して行政はすでに動いていたみたいな報道もありつつ、こちらの本意とは違う、うまく誤魔化すようにまとめられてしまったんです。そういった状況の中、当時の理事のなかでも、数多あるはずのホットスポットを見つけてはマスコミと協力してリークすることに意味があるのかと、意見が割れていました。
今にして思えば、自分自身としてもそういった空気感を察知して、いち早く記者さんに汚染土壌について伝えようと判断したんだと思います。それはまだ組織に参加して間もなくて、運営の常識を知らなかったということもあります。だから、後々メンバーから「なんで内部で検討する前にマスコミに流したの?」ということは言われました。


福島県立図書館と美術館の敷地内中央には芝生が広がっています。2013年4月時点では、敷地内で除染が済んでいたのは芝生付近だけでした。※写真は2020年に撮影したものです。©2020 Photograph by Shuji AKAGI


2013年4月13日、福島市内にある県立高校のプールの底にたまった汚泥を測定した結果、放射性セシウムを104,000Bq/kg検出しました。2013年度前半は、この汚泥問題をきっかけにホットスポットの告発を行いました。


ー阿部さんもその後理事長を務められることになるわけですが、2013年頃はまだそこまで慣れてらっしゃらなかった。

阿部 福島市立図書館のケース (※5) では、僕らが高線量のエリアを見つけましたということを測定結果と合わせて知らせた時、市の除染課の人々はすごく苦々しい顔をしていました。その時は、「採った土は窃盗にあたりますから、返してください」ということを言われて、こちらも「わかりました」ということで返しました。
3、40万Bq/kgある土を、それは明らかに単なる堆積物なんですが許可ナシに持って行ったのは窃盗にあたる行為なのでということで、苦々しい表情と共に、「これは何か言ってやりたかったんだろうな」という風に、僕は理解しました。

ーリスクがあって抜け落ちていた場所を、見つけてくれて、報告してくれた方には感謝してしかるべきという気もします。

阿部 向こうとしては、それなりに把握もしていて、順番で後にやるつもりだったところ「余計なことをして」という風に思ったんじゃないかと思います。それから県立美術館の駐車場にもホットスポットはあったわけですが、市と比べると県の方は「あ、そうなんですか?」みたいな、他人事という感じでした。
でもそれは逆に、県の対応やあたりが良かったというわけではなく、市の担当者の方が人間味があって、県の除染担当の方は、僕ら寄りというよりも中央の感覚に近いんだろうなという風に受け止めました。




▲福島県立図書館側4カ所、同美術館側1カ所、福島市立図書館3カ所の空間線量率と土壌放射能測定結果。


発見と迷い

ーそれぞれ対応もマチマチ、必ずしもそれが感謝という反応で出てこないとはいえ、市民測定所の存在が市なり県なりの本気を引き出したということは言える。

阿部 それはその朝日新聞の記者さんの矜持、尽力もあり、だってただ行政に申入書を出しても、シレッと受け取られて終わりになってしまうわけです。そこで、記者会見を開いてメディアに訴えかけたり、どうにか社会に伝えていこうとする行為によって市や県の職員は動くんだなということは、学びました。
その後も朝日新聞の記者さんは同じように動き続けていて、例えば福島市駅前の銀行街にあるビルの屋上に実際に人が住んでいた家があると。そこの方は避難していたんですが、そこに生えていたコケをCRMS福島で測定したら、それは170万 Bq/kg (※6) ありました。
当時ガンマカメラというものがあって、ざっとですが、カメラを通して高線量の場所が赤や黄でモニターに表示されるというものです。その時はそのガンマカメラについての記事に合わせて、170万 Bq/kgものホットスポットも記事になりました。でもその時は、時期的に2013年夏の参院選がはじまったせいで、他社は福島民友以外扱いませんでした。今思えば、当時ですでに「街中にホットスポット=高濃度汚染が見つかった!」という切り口は、記事になりにくくなっていたんです。


福島市立図書館の駐車場の植え込み前がホットスポットになっていました。(撮影:2013年5月7日)



民間駐車場にできたホットスポットからは、それまでに発見した公立図書館の駐車場のホットスポット と同等か、より高い空間線量率が測定されました。(撮影:2013年7月9日〜10日)


記者会見の翌日、福島県立図書館・美術館の駐車場の植え込みには、 立入禁止のテープが張られました。(撮影:2013年5月8日)


わらじまつりの当日、民間駐車場のホットスポットにも立入禁止のテープと土嚢が置かれました。しかし、なぜ立入禁止なのかの説明はありませんでした。(撮影: 2013年8月2日)


立入禁止となったホットスポットほどではないですが、それ以外にも駐車場内には空間線量率が高い地点がありました。(撮影:2013年8月2日)


ーその、170万 Bq/kgというのは尋常じゃない高さです。都心なら数千 Bq/kgどこかにあるだけで、それなりに問題になるかと思います。

阿部 とはいえ、確かに尋常じゃないながらさすがにそれがそこら中に、大量にあるわけでもない。つまり、マイクロホットスポットと呼ばれるものでした。
事故直後なら、界隈にそういった超高濃度汚染スポットはそれなりにありましたが、事故から2年後にもなるとセシウム134の最初の半減期も迎えて、空間線量がガタンと下がった状況もありました。やっぱりちょっと気が緩まった、緊張感が薄れかけた時期だったので、そこでまだそういった線量の汚染があることにおののいた一件でした。
もう一つ同時期のこととして、わらじまつりが同じ年の8月にありました。その時はCRMS福島のお母さんメンバーが、わらじまつりの会場になるメイン通り沿いの駐車場に「いかにもホットスポットがありそうで、気になっている」ということを言っていたんです。それで7月頭頃、「やっぱり測りましょう」となりました。その駐車場付近は出店もたくさん出るし、子どもたちも地べたに座ったり、そういうことを見据えて測ることになったんです。
そして測ってみると、実際にとんでもないホットスポットがあることがわかったんです。駐車場の構造上、いかにもそうなってしまいそうな場所でした。地面の上で空間線量計の数値が12 μSV/hくらい、土は100万 Bq/kgあったので、それは実際に相当な汚染でした。
その時もCRMS福島内部で、「これをどうするべきか」となりました。県立とか市立の図書館みたいな公共施設であれば、相手が行政だから気兼ねなく告発できるのが、その駐車場の場合は当然営利運営だし、CRMS福島メンバーもよく使っているところなので、伝え方に迷いが生じたんです。
同じ立場の市民同士となると、そこに一種のしがらみ、忖度、関係性が発生するという、そこが難しいところなんだと思います。


達成感


ーそれはもしかしたら、空気を読み過ぎている気もします。危険な高線量のエリアがあるということをオーナーに伝えるのは、本来ありがたがられることであるはずと思います。

阿部 でも当時は、難しく考えてしまったんです。
例えば、外部から来たグリーンピース (※7) みたいな団体になると、こういったある意味でいう逡巡がないと思います。これは誤解なきように、彼らは彼らの信じる正義のためにやっているのであって、ただそれがここに住み、同じ市民の立場で、いろいろなしがらみがある中で生活している感覚があると、あちらにはしっかり言えることがここには言い難いという、そういうことを感じはじめたのもその頃でした。
いつもの記者さんは「それは大変だ。記者会見やりましょう」とすぐ反応をくれたんですが、「いろいろと関係のある駐車場なので、今回は記者会見抜きで解決したい」ということを伝えました。
結果としてはそのホットスポットの真上に土嚢が置かれ、一角はテープで立ち入り禁止となり、最低限の対応までは辿り着きました。でも考えると、今指摘されたような「ちょっと中途半端かも」という傾向は、その頃から見え隠れするようになった気もします。
その頃すでに、2011年の原発事故直後にあった「自分たちが先頭をひた走っている」といった感覚が、すでに失われつつあったんだなと思います。

ーただ、今でも組織が存続していることが測定の重要度や需要の証明と言いますか、存在が多くを語っているという風にも思います。

阿部 例えばホールボディカウンタを測りにくる方の数は、2013年当時ですごく減っていました。
ホールボディカウンタの、導入から最初の3ヶ月で3〜4000人を測った実績や手応えからは、「大きく変わったな」という感触でした。私たちの実感として、市民の中に、心配は心配だけれども、同時に「寝た子を起こす」ことに対する抵抗感があるんだなと、それを最初に感じたのはその頃でした。 

ーとはいえ、測ることの必要性や、存在することへの感謝を、直接的に感じることもあったから、それがモチベーションにもなってきたのではと思います。

阿部 感謝はもちろん(僕たちに)伝えられるんですが、うまく言えないんですが、かといって自分としてそんなに印象に残っているというわけでもありません。
あるとすれば、果樹農家さんで、事故初年度から行政の系列施設で梨を測っても「10 Bq/kg以下は不検出」と言われてしまうということでCRMS福島に持ってきてくれて、詳しく測ると9 Bq/kgでした。そしてそれ以降、0.5 Bq/kg未満になっても「やっぱりこれは続けたい」ということで、そういう方がいらっしゃることはもちろん強く認識しています。
その方の場合は、たとえそれが普通の農家さんで、独学でも放射線対策を進めていったことがしっかり身になったというか、その意味で印象的でした。
これはホットスポットファインダーでも土壌でも、測定したことが自治体への理解に繋がって、向こうも「それはマズいですね」という反応で、結果として除染してくれたりということになると自分にとっても感謝されたり、「やってよかった」という記憶になると思うんです。
でもほとんどの場合そこまでいかないというか、いいところ「ここは高いので近づかないで」くらいの対応で終わってしまう。だから、詳細を知っている少数の方には評価されたり感謝はされるんですが、もっとその先、ホットスポットの除去とか除染まで辿り着けないことで、個人的には「片手落ちだな」と感じてしまう。
とはいえ、測定をしていると界隈に住んでいる奥さま方が「あら、測ってるの」と聞いてきます。やっぱり興味はあるようで、僕からは「平均的には低いけれども、ホットスポットがそこかしこにはある」ということを伝えました。
ですので、まずこちらが動いてさえいれば、皆さんは今も「心の片隅では気にはされているんだな」ということは感じることができるんです。




▲阿武隈川河川敷をGPS情報と連動してリアルタイムで空間線量率を記録できるホットスポットファインダーを測定した結果、地表10cmの高さで2.7μSv/h、1mの高さで1μSv/hのホットスポットを発見しました。(撮影:2017年5月2日)


行政対応の矛盾

ー同時に実態として、セシウムの134の方は半減期がもう4回、つまり1/16にもなると自然に相当量の放射性物質が減っています。また、行政も多額の予算と労力をかけて除染もして、線量そのものは全体としてかなり下がっています。もうさすがに、図書館の駐車場ほどの汚染はないんでしょうか?

阿部 3年前にふくしま30年プロジェクトのメンバーが、県庁前の阿武隈川側の河川敷で、地表10 cmで2.7 μSv/hの場所 (※8) を見つけたんです。それを知り合いの市議に相談して、自治体としての「除染」という項目の事業は終わっちゃってるから、除染とも違う「ゴミの処理」という対応で、市が除染としてではなかったけれども除去してくれたということがありました。

ーそうして結果として、10年が経ち、現状そこまでのホットスポットもないような状況まではきている。

阿部 そこそこ高いところはまだありますが、行政を動かすほどの値ではないというのが実情です。例えば今ふくしま30年プロジェクトがある福島市の飯坂温泉で、ウチが使っている駐車場の近くに地表で0.5 μSv/hくらいある場所があります。そして土壌を採取して測定すると、3万 Bq/kgを超えます。
ではそれで市が動くかというと、それは難しい。一応伝えには行きますが、もうそれくらいの線量では動いてくれないと思います。

ー双葉町や飯舘村にも帰還を促している状況で、福島市のその程度の汚染でやんや言わなくなっている。

阿部 「その場所にずっといるわけじゃないでしょう」と言われるのが、見えているというか(笑)。
ただもっと、これは変な言い方ですが、食品の場合は土壌に比べると基準が厳しいので、明確に値を超えていると僕たちも動きやすい。今は土壌で言えば8,000 Bq/kgが指定廃棄物の基準とされていて、それは事故前と比べたらべらぼうに高い値なんですが、でもそこに一つの境目をつくられています。
つまり、汚染が4, 000 Bq/kgくらいでは、行政も動かないわけです。その数値は環境省からのお達しで、地方の役所の職員は従うしかない。そして同じように厚労省からは、100 Bq/kgという食品の基準がきています。それは山のキノコや山菜からは今も出てくる数値で、数値を超えた値には行政も対応せざるをえません。また、だからこそ「食品の基準値そのものを変えよう (※9) 」という動きも出てくるわけです。

「覆水盆に返らず」だからこその放射線教育

阿部 事故直後福島に招聘され、「笑っていれば放射能は来ない」ということを流布した山下俊一氏が、脱子ども被ばく裁判の法廷で参考人として呼ばれ、「最後に述べることは?」と聞かれて、「覆水盆に返らず (※10) 」と言ってひんしゅくを買ったということがありました。
でも僕は一方で、あれは真実とも思います。

ー放射線の影響は積算されるため、一度被ばくした事実は消せません。

阿部 加えて原発事故の最初のときに、自分たちがこれでどうなったと思ったか。この捉え方の違いで市民同士の分断が起きて、なかなか直すことはできません。
亡くなった吾妻ひでおという漫画家さんがいて、彼がアル中で入院した時に医者から受けた説明が「アル中はキュウリのぬか漬けがシワシワになるのと同じで、元の状態には戻れない」というものだったといいます。もちろんぬか漬けは美味いとか、逆に腐りにくくなるということもあるんですが、要は「完治ということはないよ」と。それでちょっとでも呑むと症状が戻ってきてしまうわけだから、選択肢は「呑まない」ということしかないんです。
ひるがえって、原発事故も同じ状態には戻らない。唯一時間が解決してくれるというか、今後300年経ってセシウム137がなくなったら元に戻るということは言えるかもしれません。それだけ経てば新しい人間同士の関係性もそこにあるだろうし、コミュニティも刷新されているでしょう。でも「たかだか10年じゃ元には戻らないんだよな」ということは思います。

ー事故から10年が経って除染をしてもそういう場所は残っているし、私たち市民がやるべきは、せめて繰り返さないようにできること、学ぶことをしていくことである。

阿部 結局原発災害があって、僕らがこの10年間学んでかいくぐってきた放射能汚染に関する知識が、継承されてないんです。
事故から2、3年目くらいまでは試行錯誤していたとはいえ、学校でも放射線教育をやっていたと思います。それが、線量がここまで下がってきたのと、そもそも難しいことなので小中学校の現場で教師が手をつけてない傾向があって、全体として「継承されていない」状況があります。
事故後に生まれた子どもたち、今の小1、2年生くらいの子たちは放射能について何も知りません。もう極端なホットスポットはないとしても、地表で0.5 μSv/hの線量が、それこそ小学校の通学路脇にあるわけです。他にも横断歩道の脇に雨水や泥が流れて溜まるようなマイクロホットスポットがあったり、そういう場所は、子どもがわざわざ通りたがる隅っこであったり、興味を持ちやすいところにあるんです。
だから、そういうことこそ教育の中で教えたり継承されたり、そうすべきなのにしてないんじゃないかという、緊張感が薄れてきているが故の懸念を持っています。
自分自身で考えても、2012、3年頃までは結構な緊張感を持って生活をしていました。当時と比べたらああいった明確なホットスポットはなくなりましたが、例えば福島市は、児童施設内で0.23 μSv/hを超えていたら除染に動くんですが、施設外では動かない。子どもが被ばくをするという意味では同じなのに、縦割りで管轄が違うという理由で手出しができない。だからこそ、気をつけるべきことや場所について教えるべきだなと思っています。
だって、この0.5 μSv/hあった場所は、子どもの目安である50 cmの高さでも0.2μSv/hはあって、土壌の放射性セシウムの含有量で3万 Bq/kgを超えます。そこは自分も通るし、子どもが通る場所でもあるんです。



測定の結果、普段何気なく使っているゴミ集積場がホットスポットとなっていることがわかりました。しかし、現在の行政の施策ではホットスポットの対処をするとしても、自助で行うしかないかもしれません。(撮影:2020年8月6日)




※1【強制避難などの対象】
2014年3月11日に、ローカルテレビ局の福島テレビが特番「FTV報道特別番組」内で、「もしも福島市に避難指示が出されていたら 人口30万人 検討された避難指示」を放送しました。ここで菅直人元総理から、地元側が避難指示要請に抵抗を示したことが語られます。
菅直人元総理「当時はですね、まだ、かなり後までメルトダウンは起きていないというような方向でしたから、実は当時の認識以上に危ない状況だったわけです。
一方で、厳しい基準で避難してもらいたいという思いと同時に、一方で、やはり地域社会が、こう…、なんていうかな、成り立たなくなるというですね、そういう心配を、あの、…県の中のみなさんも持たれてましたので、やはりそういうところの判断は、あの非常に、あの苦しみました」
福山哲郎元官房副長官「もし線量が飯舘や川俣のように高い場合は、躊躇なく福島市も避難指示を出してたと思いますし、お願いをしていたはずです。
ただそれはあくまでも、一部、点としての高いところはありましたけれども、面として高かったわけではないので、そこは避難指示を思いとどまったというのが当時の、僕は考え方だったと思います」

※2【ホットスポット】
エネルギーや化学物質が特別に高い値を示したり、ときに犯罪が多発する地域など、さまざまな事象が周辺部よりも顕著に生じる特殊な地点や環境をいう。2011年3月に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故が原因で放射性物質が飛散し、局地的に空間放射線量が高くなっている地点がホットスポットとよばれたことにより、広く使われるようになった。出典:日本大百科全書(ニッポニカ)。「コトバンク」より引用。
https://kotobank.jp/word/ホットスポット%28放射能%29-1613153

※3【芝生の方】
第6節 災害復旧事業
平成23 年3 月11 日に発生した東日本大震災とそれに伴う東京電力(株)福島第一原子力発電所の事故により被害を受けた建物等の復旧及び敷地内の除染を実施した。
⑹ 美術館・図書館庭園内芝生の除染
平成24年1 月18 日~平成24 年3 月28 日 12,339㎡
福島県立美術館(2014)「福島県立美術館年報 平成23-24年度・2011-12」(2014年3月25日発行)より引用。
https://art-museum.fcs.ed.jp/etc/image/Annual_Report_2011_2012.pdf

※4【プールの汚泥】
東京電力福島第一原発の事故後、水を抜かないままになっている福島市内とその近郊の県立高校2校のプールの底の汚泥から、1キロあたり10万ベクレルを超える放射性セシウムが検出され、もう1校からも同8千ベクレル超が出た。教員や学校側の協力のもと、朝日新聞が泥を入手し、福島市内のNPO法人「市民放射能測定所」(CRMS)で測定した。
「プールの泥に高濃度放射能 NPO、福島の3高校で測定」朝日新聞(2013年4月22日付)より引用。

※5【福島市立図書館のケース】
図書館や美術館などの公共施設がある福島市内の敷地2カ所の駐車場の土を、NPO法人が採取し測定したところ、最高で1キロあたり43万ベクレル超の高濃度の放射性セシウムが検出された。空間放射線量も、高い地点で住民の避難の目安を上回る毎時3・8マイクロシーベルトに達した。連絡を受けた県と市は7日、現場を立ち入り禁止にした。近く緊急に除染を行う。「福島の駐車場、土から高濃度セシウム 立ち入り禁止に」朝日新聞(2013年5月8日付)より引用。

※6【170万 Bq/kg】
福島市の中心市街地で、店舗兼住宅ビルの屋上に生えたコケから1キロあたり170万ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。市がビルの緊急除染を行う。
汚染されたコケは、ビル所有者の依頼を受けた東大宇宙線研究所の榎本良治准教授(素粒子実験)らが6月8日、ガンマカメラ簡易測定器で確認した。同市内のNPO法人が測定し、178万5216ベクレルを検出した。コケの真上1メートルの空間放射線量は毎時約0.5マイクロシーベルトだった。「福島市中心部で170万ベクレル超のコケ 緊急除染へ」朝日新聞(2013年7月4日付)より引用。

※7【グリーンピース】
グリーンピースは、世界的な規模で起こる環境問題に取り組む国際環境NGOです。その始まりは1971年、アメリカによるアラスカ沖での核実験を止めるため、12人のカナダ人が実験海域に向けて船を出したことがきっかけとなりました。その後その活動が世界中に広がって各国に支部が設立され、日本には1989年にグリーンピース・ジャパンが設立されました。
グリーンピースは、政府や企業からの資金援助をうけず、市民のための独立した組織としてグリーン(持続可能)でピース(平和)な社会を実現するために活動している環境保護団体です。国際環境NGOグリーンピース「よくある質問」より引用。
https://www.greenpeace.org/japan/about-us-2/question/
http://p3-raw.greenpeace.org/japan/ja/info/faq/

※8【10 cmで2.7 μSv/hの場所】
側溝を測っていくと、公園内とは違って、(瞬間)最大では10cm:3 μSv/h超えの箇所が!!(>_<)
やはり、川原までは除染の手が回っていないようで、まだまだ高い場所がありました。認定NPO法人 ふくしま30年プロジェクト「4年半後の紅葉山公園」
https://fukushima-30year-project.org/?p=8205

※9【食品の基準値そのものを変えよう】
東京電力福島第一原発事故後に設定された食品中の放射性セシウム基準値(一般食品で1キログラム当たり100ベクレル)に関し、自民党の東日本大震災復興加速化本部は基準値による出荷制限の在り方を検討するプロジェクトチームを設置した。風評被害の一因と指摘される基準値の妥当性も議論し、科学的で合理的な規制の運用を目指す。「放射性セシウムの食品基準値と出荷制限の在り方検討 自民PT初会合」河北新報(2021年1月27日付)より引用。

※10【「覆水盆に返らず」】
裁判の最後、国の代理人が山下氏に対し、事故直後のクライシス期に福島に入って、一番何を伝えたかったことは何かと尋ねると、山下氏はこう答えた。「長崎の原爆被爆者あるいはチェルノブイリ事故の被災者に接し、その経験をここに活かすとことを運命的だと感じた。大変な困難な中で活動することを、私自身は嫌だとも思いませんでしたし、ある意味、使命だと思って活動した。」さらに、「福島県民に一番伝えたかった事は『覆水盆に返らず』」と述べ、復興には国民の自己決定が重要だと結んだ。「ニコニコ発言『緊張解くため』〜山下俊一氏が9年前の発言釈明」OurPlanet-TV(2020年3月6日付)より引用。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/2478