変わることのできない「何か」を越えて

インタビュー 島明美

島 明美

福島県伊達市在住
個人被ばく線量計データ利用と
市民生活環境を考える協議会 代表


伊達市在住の島明美さんが行政情報開示で得た膨大な書類は、宮崎・早野論文問題の究明には無くてはならないものでした。その行動の基となったのは、福島第一原発事故後に周りから醸成された、原発建屋が爆発したとしても今は非常時ではないという「空気」への違和感でした。
ここでは島さんが行政に対して抱いた疑問からはじまり、宮崎・早野論文問題を究明するなかで感じた、日本の変わられない「何か」というべきものについて語ってもらいました。


「情報公開」百聞は一見に如かず

ー「自分の目で確かめたい」というのは、どうして?

島 「人に情報を伝える」ということは、もともとお喋りなのでそうしてきたのですが、「デマだ」と言われるのはとても悲しいものです。しかし、ちゃんとその情報の出所をちゃんと示せれば、例えば「文科省の人に聞いた」と言った方が、説得力ありますよね。
今回はあまりにも重大なことがいっぱい起きてしまったので、曖昧な情報として人に言うのでなく、ある程度自分の耳で聞いたことをそのまま誰かに伝えたいと思いました。だから震災後は、国に直接電話することが多かった。
それで聞いてみると、なんだかどうも、情報がおかしい。「浅いところで話してない?」ということが多かったので、それに対してまた疑問がいっぱい出て、さらにそのことを調べていったというのがはじまりです。

ー除染一つとっても、そこでだって納得いくかたちではやっていない福島市の隣、さらに問題だらけの伊達市に、島さんは住まわれています。

島 同じ事故なのに、自治体によって除染基準が違うということがまずおかしい。国は自治体任せにしてるんです。その方が「厳しい目でやってくれる」という判断かはわかりませんが、結果としてその逆を行ってしまっているので。
環境省には何回も言いました。すると環境省は「伊達市がやってることなので」と言います。だから「いや、その除染計画にハンコ押したでしょう?」、「国にも責任はありますよ」、「監督してもらわないと」って。だって、伊達市民である前に日本国民なわけですから。


福島第一原発事故によって、当時18歳以下の福島県内の子どもを対象とした甲状腺検査が行われています。本来それを所管するのは厚生労働省と思われますが、なぜか環境省の所管となっています。


Cエリアに分類される梁川駅前設置のリアルタイム線量測定システム(通称モニタリングポスト)。写真撮影時の2013年11月の空間線量率は、0.23μSv/hでした。


ー感覚で構わないんですが、福島市や伊達市でも諸々のリスクをかいくぐれるような状況まできたと思うか、または、暮らしている限りは被ばくは避けられないと思うか、どういう風に捉えてらっしゃいますか?

島 初期被ばくは確実にしてますから、そのリスクをなくすことはできません。だから一番最初に思ったのは、「これからもここで暮らす」ということは、後はちょっとずつ、数ミリずつ (身を) 刻んでいくというイメージでした。ここで暮らすのだったら、極力その数ミリを小さくしていきたいと思いました。初期被ばくに関してはみんな、どれくらいしたかなんてわかっていません。そこはどこに暮らしても、どこに行ったとしても、被ばくは消えません。


環境大臣から汚染状況重点調査地域の指定を受けた自治体は、市町村長が 調査、除染実施計画を策定し除染等の措置を実施していきます。環境省「放射 性物質汚染対処特措法の概要」より https://www.env.go.jp/jishin/rmp/con-f/law-jokyo01/mat04.pdf

ー世の中的には、原発事故の影響というと子どもたちの甲状腺がん (※1) が比較的話題になりますが、水面下では大人たちの白血病やがん患者が増えているとか、様々な話があります。

島 私は「確実かどうか」ということを大切にしていますが、同じ土俵に登ろうにも政府はそもそもデータをとらないから、こちらに言えることがなくなるんです。だから、そもそも「測ってください」ということを、環境省にも伝え、今は県庁ともやりとりを続けています。そこは本当にすごくて、「イエスかノー」が絶対必要な部分なのに、決してやろうとはしません。
 環境省の方には「なぜ、土壌は測らないんですか?」と、本当に優しく聞いたことがあります。そうしたら、「測ってどうしますか?」という答えでした。そこも優しく、「どのくらいの線量があるかわからないから、汚染の濃度を知った方がいいんじゃないですか?」というふうに言ったら、「汚染土壌が増えるでしょう」 (※2) とのことでした。
 「ふざけるなよ」とは思いましたが (笑) 、なるほど、仮置き場とか汚染土壌の処理に困るわけですよね。

ーその理由も、人の身体のリスクではない。

島 それは、そこのリスクに晒されている住民のリスク、そこで暮らす私たちのことは「別にいいんですね?」という話なんです。
 それについて福島県とも話しましたが、「そこは言えない」という答えでした。その時は、私の手元に伊達市で採った何万 Bq/kgかの土壌があって、「これを福島市に持って行ってもOKなんですね?」ということを聞きました。すると「そんなことは、島さんはできないと思うので」と言うので、「いえいえ、私の靴の裏にもくっついているし、家を建てる時の土壌を運ぶこと (※3) だって現実にありますよね」という話をしました。


市民との窓口となる行政側の職員とのやりとりでは、担当者が決定権を持たないがために、堂々巡りの話になることが少なくない。

行政を担う人々

島 ですから、本当に表面的なことしかしていないんです。
この部分は突き詰めると、「何が幸せ?」ということに行き着きます。
知らなければ幸せなのか。行政としては、そのままそこにいて欲しいだけなのか。でも、本来行政が市民にしなければならないことは「それじゃないでしょう?」と思うんです。
私は県と話す時も「どうすれば話が通るんでしょう?」、「普通に考えて、おかしいのはわかりますよね?」ということを、そのまま聞いています。
私は一度「おかしい」と思うと(そこに)集中してしまうので、行政に電話するわけです。相手が国でも電話します。でもそれで変わるかというと、何も変わらなくて、自分が少しスッキリするだけなんです。

ーただ自分のガス抜きにならないよう、気をつけている。

島 とはいえその作業においても、「国の考えはこうか」ということは学べます。同時に自分の中で、国と対話しながら「これは言っても無駄かな」という、自己規制をしてしまうことがあります。それは逆に、危ないことだと思います。
それなら淡々と続けていた方がいい。そして事実を集め、まとめてドンと出すということが一番効果があると思います。むしろそうでないと、変わらない。
向こうも人間ですし、当然こちらも人間なわけで、会話して「あなたに言うべきことではないんだけど、あなたにしか言えない」、「でも窓口がたまたまあなたなので、申し訳ないけれど、こういうことが住民から出てきていて、どうかこれを上に上げて欲しい」というふうに、私としては腹を割って話してきました。
また、すごい突き上げられたことで、窓口の人が間に入ってどうしようもない状況に陥ってしまうことがあります。上からは「やるな」、住民からは「やれ」と言われ、板挟みというのは本当に大変な立場です。


伊達市等から「除染による線量低減と住民の不安解消」についての要望を受け、政府はそれらの自治体と勉強会を行いました。復興庁、環境省等(2014)「除染・復興の加速化に向けた国と4市の取組中間報告(概要)」より。

人は過ちを繰り返す

ーそれにしても、島さんの存在と取り組みを簡潔に一般の方に知っていただくのは、簡単にできることではありません。

島 大きな流れからすると「わかってもらえるかな?」と思いつつ、私自身は即行動しているように見えるかもしれませんが、自分の中では完結させて納得の上で動いているところがあって。でも、まわりからはわからないのだと思います。最近はもう、SNS上で言ってもいないので。

ーたぶん、「伊達市に住まわれている主婦で、少し深めに放射能を気にされているんだな」という段階から先の、実際に成し得ていることの大きさは、そうそうわからないと思うんです。

島 確かに、きっと「まさかそこまでやっているとは」と思われるかもしれませんね。でも、「そこまでやらないといけない事態なんですけどね」という状況だからでもあるんです。


日本国内での被ばくに関する問題は広島長崎の原爆の被爆、ビキニ諸島での水爆実験による第5福竜丸等の被ばくなどで裁判が継続しています。広島での「黒い雨」裁判については国側が控訴し、75年が経過しても被害者は救済されていません。


ー島さんの原動力には、たまたま被ばく対策において、特に複雑で問題山積みな伊達市というところに、家庭を守る母としてお住まいだったということがありますか?

島 でもみんな、「『なんで?』って思わないのかな」ということは思います。確かに私も新聞で大きな文字しか読まない方ですが (笑) 、でもそれだって関心あれば「どこからそれが言えるのかな?」って、普通にその文脈が知りたいと思うはずなんです。
 私が伊達にいるからこういう取り組みをはじめたわけではないと思っています。もともと、関心があることに対してはこういう姿勢になるのかもしれません。「突き詰めたい」というか、関心があればガーッといってしまう、つじつまが合わないと気になって仕方がないんです。私はある件が気になっちゃうと、これは放射能に関することでなくとも、フラッと一人で現場に見に行っちゃったりもします。
でも、まだまだ知らないことが多いと思っています。なるべく本も読みたくて買うんですが、それらも積ん読になりがちです (笑) 。でも、昔の本でも読んでみると「やっぱりそうか」みたいな気づきがたくさんあります。そして、その「なるほど」という感覚や、そこに出てきたフレーズや誰かの言葉から、さらにその方の本を探しに行くことに繋がります。
だから私は今いろいろな検証をし、情報開示請求をしていく上で、開示された文書の中に出てくる単語や事業名に対して「これは何?」ということを調べています。それはキリがないというか (笑) 、どんどん広く世界に繋がっていきます。
わからないことはまだまだあって、だいたいの歴史的な流れは繰り返されている。「あ、変わってないんだな」ということは感じます。過去被ばくの問題で、解決したものはありません。
なぜこの時代にわかっていたことが、今また同じことが繰り返されて、「どうして私たちは学べないのかな?」ということを思います。そこには、「変われない何かがある」ということだと思います。

ー今回の件に限らず、今で言えばコロナ対策でも見え隠れする体質。

島 歴史を伝えない、共有しない。だから「誰のためにやっているのか」という視点でみると、すごくおかしいことがわかります。立脚点が人のため、国民のためでないということは容易にわかります。

ーここまで、事実が歪められていることが許せない。

島 というか、私自身にもまだわからないことがあります。だから、自分が知るためにいろいろな情報をとって、「こうじゃないかな」と集めたものが、「やっぱりそうだったかな」というような、それらが裏付けになっていきます。他にも「あ、そっちか」ということもあるので、何事もやってみないとわかりません。


彼も人なり我も人なり

島 やっぱり「事実を知りたい」ということにすべてが集約されます。
以前ならいろいろ喋って、その後こちらの方にメディアや世論を引き寄せるということがあったと思うんですが、このケース(宮崎・早野論文問題)はそうでもないんです。そもそも自分の中ではっきりしない部分もあるので、もっと検証しながら出していこうと思っています。
あとは、いつの間にか、私の発言が注目されていることに気づきはじめたというか、「影響がある」と。それはつまり、「人の人生を変える可能性がある」ということになってきたんです。
だから「すごいでしょう」ということではなく、もっと「慎重にしないといけない」と思うようになりました。ある事例に対して「そうかな?」ということくらいで発言しては、それが表層的でもしかして間違えているかもしれないことを、重大に捉える人たちもいるかもしれないわけです。
これまで私が目立った時期ってあるんですが、その時必ずしもスムースに進まないこともありました。逆に目立ってしまって、「色がついた」というんでしょうか。むしろ、そういうものを取り除きたかったというか、それは邪念と呼べばいいのか (笑) 、そこはナシで、ちゃんと正常に進むことを望んでいます。


イタイイタイ病は、富山県の神通川流域で起きた日本の四大公害病の一つです。そして、イタイイタイ病をめぐる国の動きを分析した藤川賢、渡辺伸一「公害軽視の論理はいかに生みだされるのか―カドミウム汚染基準をめぐる研究と政策の関係」は、明治学院大学社会学部付属研究所年報で「科学が政治に歪められた過程」の研究と紹介されています。写真は神通川流域にある旧神岡鉄道の廃線。

ー島さんが見出した方法論、つまり「目的を達成するためには自分自身が表に出る必要もなく、あらゆる効果的と思われる手段を打つ」ということは、実は行政が最初からずっとやってきていることで、だからこそ強いのかもしれません。

島 それはそうです。歴史に残る今までの公害問題や、他のあらゆる問題と対峙してきて、向こうはもうノウハウはわかっている (※4) わけです。
ある程度被害者を特定して、そこにドンとお金を払ってしまえば、日本全体から見ればすごく賠償したように見えるし、そう見せればいいわけです。その姿勢は本当にズルいというか、問題の収め方を本当に勉強しているなと思います。
だからこちらも学ばないといけません。そしてその上で、ある程度自分をなくさないとそれが実現できない悲しさもあるんですが、それでも「変える」ということを実現するため、どうすればいいのか。
そこについては、議会を通じて学んだこともあります。個人があまり出過ぎると、議員さんも引いてしまうんです。
私が「変えたい」ということで、実現できてきたことのもう一つの要因は市民の代表である市議会での動きです。私が問題だと思うことを議員の方に情報を共有し、勉強会を開く時は参加していただいたりしてきました。そのような市民の面倒な動きに真摯に対応してくださったのが、現在の伊達市議長である高橋一由さんです。

ー「変えたい」という目的に対しては、どれくらい近づいてきた感触でしょうか?

島 でも、現実にはまだ全然変わっていません。それに一応、核の歴史みたいなものを見ていると、なかなか変わらないということもわかっています。

検証「宮崎・早野論文」

島 宮崎・早野論文の検証というのは、科学者の方から、しっかり科学的データの検証をはじめたものなんです。
つまり倫理的な、「同意されていないデータを使った」という部分が発端なのではなく、本当に「数字のデータから研究不正が行われた」ということを見つけ出し、その後からデータ使用についての同意云々の問題が発覚したという流れになります。
ですから、宮崎・早野論文については、ちゃんと1からやっている。つまり、「真っさらなところから科学検証がされている」ところに注目していただきたいと思っています。
つまりこれは、一人の気に入らない、個人的に嫌いな学者をイジめるためにやっているわけではないということです。


宮崎氏は、2013年10月に伊達市放射線健康管理委員会の委員に就任しますが、その1年前のだて市政だよりに「福島の内部被ばくの現状」を寄稿しました。「だて市政だより11月号」(2012年10月25日発行)より。


ーこの宮崎・早野論文は、なぜこんなに重要なんでしょうか?

島 この質問はよく聞かれて、文章として書いて欲しいということも言われます。それはやはり、科学的な論証は難しいからです。データからの解読や解析を、一般の方がはじめからやるとなると困難です。
そして、私もこれまで論文というものを甘くみていました。
それは何らか重要なこと、政治的な判断、決定に使われる時の「論文の威力」というべきか、その根拠に使われることの大きさに気づいたことに尽きます。それが、私がこの論文検証に本気になった理由です。それを私が放置したら、将来に大きな影響を与えてしまうことがわかったんです。おかしいことに気づいたのに何もしなかったら「今、ここに生きている私の意味は何?」と思いました。
それから、この論文が重要なのは「人権侵害」だからです。
とても人権を侵害しています。被ばく者を人として見ていない姿勢があって、蔑ろにして、実験台にしています。それは、論文に生じている齟齬を見ていくと、よくわかります。

ーある意味問題があり過ぎて、知らない人にはわけわからないし、知ってる人も混乱する。

島 だから私も、何を一番に伝えるべきかわからなくなります (笑) 。
でも一番には、やはり住民として発言するしかないと思っています。そこは他にできる人がいない。科学者には科学者としてやっていただいて、私はやはり当事者として発言、主張していくべきだと考えています。
あれが一番はじめの、私の疑問の発端でした。だってあんな、着けてもいないガラスバッジを元に論文を書かれるなんて「やられた!」と思ったことが最初のきっかけなんです。データの「活用」ではなく、データの「利用」だと思いました。
私は、この論文が「踏み込んではいけない領域に入ってしまった論文」であることを知ってしまったんです。それも私の目の前で、私のデータを使って。
それは、被ばくし、生活をしている人たちの"被ばくデータ"ですが、そこには命があります。そのデータを軽く扱ってもらっては困るんです。
この論文は、それら命のあるデータを軽く扱った「ヒバクシャへの冒涜」でした。
そのことを知ることができたのは、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の黒川眞一さんの科学の目で検証されたからでした。科学者である黒川さんはこの論文の実態を知ることで、どんなに傷つかれただろうと思います。行われていたことが科学への冒涜だったのですから。
そしてなぜ、福島に住んでいる医師や学者たちは、自分も被害者なのにその中に入っていってしまったのか。今回のケースで、それは宮崎さんにあたります。
行政もそうなんですが、同じ被害者なのになぜ「どうしてそちら側にいってしまうの?」という、その疑問がすごくあるわけです。どうして引きずり込まれたのか。


アウシュビッツ強制収容所は、アウシュビッツ第1強制収容所、アウシュビッツ第2強制収容所(ビルケナウ)、およびアウシュビッツ第3強制収容所(モノヴィッツ)の3つの大規模な強制収容所で構成されていました。写真は第2強制収容所のビルケナウになります。



社会的正義という不正義


ーそこはとても重要な話です。今島さんがやられていることは、一つ一つ、この事態を起こした意図の源流に何があって誰がいるか、明らかにする行為に見えます。

島 この問題が複雑なのは、早野さんもそうですし、行政や国も、もしかすると「いいことをしている」という意識がありそうなことなんです。末端の人は特に「自分たちが変えなきゃ」、「日本を守ろう」みたいな気持ちでやっていると感じることがあります。森ばかり見て木をみてないみたいな。だからこそ「変な方向に行かない」ために、倫理指針というものがあるはずなんです。
だから、宮崎・早野論文を検証する上で黒川さんが指摘された、アウシュビッツ収容所 (※5) での教訓から世界医師会がつくった、人体実験に関する倫理的原則「ヘルシンキ宣言 (※6) 」があったわけです。それは過去の失敗から学んで出されたわけです。であるならば、みんなが「何が正しいかわかっていない中で動く」には、まわりが見えなくなる非常事態だからこそ、守らねばならないことなんです。
そこを忘れてはいけないのに、宮崎・早野論文ではそれを軽々と破りました。
そして宮崎・早野論文の問題が明るみに出た後でも、緊急事態だったのだからそれを破ってもいいというようなことを、他の医療従事者たちが言うんです。

ーこの、事実を歪める、素人にもわかる相当な改ざんがあった論文について、なぜ、結構な識者でも「支持する側」に行ってしまうケースがこんなに多いんだろう?ということが疑問です。

島 結局、「日本を守りたい」というのは、何と言うか、「誰かを犠牲にしながらじゃないと自らを守れない国なのかな?」ということを思ったりします。
誰かを犠牲にして、でも「経済を優先しよう」とか、それは今のコロナ禍でも見てとれますが、「経済を優先しないと生きていけないんだよ」という、それこそリスクとベネフィットみたいなことを、ずっとやってきているような気がします。

ー戦争がその最たるものでしょうか。

島 そうですね。だから今、改めて考えさせられています。
結局宮崎・早野論文というものは、「放射能が致死量かどうか?」という議題に対して「致死量じゃないんだよ」、「死なないよ」ということを伝えました。でも「死ななくても、不安だよ」という人たちがいますよね。
だから、その人たちが騒がないように、思いっ切りウソをついて「騙す」、「穏やかにさせる」、「なだめる」、「諭す」みたいな、そういう方法のために存在しているんじゃないかというふうに思っています。
科学者で言う「毒か、毒じゃないか」ということと、一般人の感覚におけるそれは全然違うし、しかも個体差があるわけですよね。赤ちゃん、子ども、妊婦みたいなリスクを持っている方々にしてみたら本当に大変なことなのに、そこがなぜか強い大人というか、一般論で括られて語られてしまうという状況があります。どちらにしても「我慢」には変わりないのですが。
日本のこの状況は世界的に見ると、いわゆる「ムラ (※7) 」の住民にしてみればとても有益な論文だったわけです。つまり原子力産業の視点からすれば、自分たちの事業を具体的にすすめるにあたって、本当にいい論文だったんだと思います。そういうところに利用されて、それこそ、「どんどん推進しろ」と。
ですから、あたかも査読されたような扱いを受けたかのようになっている論文ですが、実際には「査読なんて、本当にされたのかしら?」と思ってしまいます。
何人かの大学の先生にお話を聞きましたが、「もし学生があの論文を持ってきたら突き返す」というくらいの酷い論文だそうです。「そんな論文が、査読を通るんだろうか?」ということです。
そこには「東大名誉教授」という肩書き、原発事故後における「早野龍五」という実績と言いますか、さらにちゃんと早野さんは「原発には反対ではない」という姿勢をとられてきています。それらのことで「軽く通ってしまったのでは?」と思ってしまうくらいです。
そうでなかったら、査読の上、研究不正とか、計算間違いをしている粗雑な論文を通してしまった科学誌そのものに、かなり問題があると思います。
研究不正、改ざん、捏造、公文書偽造・・こんなにそろった論文ってそうはお目にかかれないそうです。


福島第一原子力発電所の事故後、外部被ばくや内部被ばくについてデータに基づいた調査研究を続けた、東大名誉教授・早野龍五(はやのりゅうご)さん。早野さんは事故直後から、研究者の視点で集めた情報と見解をツイッターで発信し始め、さまざまな情報に翻弄されていた人々の貴重な拠り所になりました。環境省(2017)Channel Japan/CNBC ASIA「Fukushima Today」#4『物理学者早野龍五と福島の6年』より引用。

絶望からの希望

ー高いハードルに徒労感、苦労が多いかなとは思いつつ、明るい話は周辺にありますか?

島 絶望的な話ばかりですみません (笑) 。
とはいえやっとデータも揃ってきて、科学者の中にも「ちゃんとデータを基にだったら発言できる」という方が出てきました。だって当初は私も、「日本の科学者って大丈夫?」というふうに思っていたわけです。「何も喋れないんだな」って。
でも最近は、お一人お一人の存在が直接交流する中でわかってきました。ちゃんと物事を知って発言してくださる、どちら側に立つわけでもなく、根拠を持ってダメならダメということを言ってくださる科学者がいるということを知りました。
政治家もそうでした。
特に伊達市では、議会が変わったから、私の活動も変わったんです。しょせん私なんかがポロッと言うことの影響力なんて、結局大したことはありません。つまり、「この立場の方がこういう風に話す」ということがいかに大きな意味を持つかがわかりました。言葉の重さ、意味するものには大変な責任があって、おかげで一方で「軽くは言えないんだな」ということもわかったわけです。
ですから、そこの部分でしっかり検証くださって、報告や対応、行動をしてくださったことはとてもありがたいし、「希望はある」と思いました。とはいえ、まだまだこれからではあるんですが。

ー淡々と事実を積み上げてきて、しっかりそこを見てくれている方々がいる実感を感じられて、世の中まだ捨てたものじゃないなと思えた。

島 はい (笑) 。昔は本当に変えられなかったかもしれませんが、でもその時だって理解者がいてくれました。それで私が今やっていることは、次に向かう人たちにとって、「何かしらに役立つことなんじゃないか」と思っています。科学者、市民、政治も命懸け。そして、この問題を扱う報道者も、命懸けの案件でした。
これは今だからできることなんです。後からはできません。変えるなら今です。決定されると、もう普通は変わらないので。決定を後からひっくり返すことは、かなり難しいことです。
だから、早野さんの論文が撤回されたというのは、その内容については脇に置いて、ものすごいことだということも、この渦中に学びました (笑) 。

ー次なる勝負の節目はどこになるんでしょう?

島 どうしても「10年」ということで、メディアの方も露出させようとします。今までは報道で取り上げられなかったことを、「この節目で、取り上げてもいいだろう」という雰囲気はすごく感じるので、それは使わせていただこうというふうに思っています。
文章や記録を、なかなか自分でやり続けることって難しい。だからこの10年の節目にオファーもあるので、一度自分の取り組みを見直し、まとめていければと思っています。


議会被ばくデータ提供等に関する調査特別委員会中間報告では、市調査委員会の指摘洩れをあらためて指摘し、市側とは一線を画すかたちで議会の独自性を発揮しました。(撮影:2021年2月)



「公共性」責任者の説明責任


ーここまで「あそこをやり切れてない」、「あの時対応を間違っちゃった」みたいな、後悔的なことはあるんでしょうか?

島 私、「あれを言い忘れたな」と思ったらすぐ電話するので (笑) 。
思うに、今のこの状況においては「やり過ぎ」はなかったと思います。そして「やらなかったこと」も、やらなかったことで後からうまいタイミングがくると思っているので、流れに任せてここまできました。だからそこは、「なるようになるしかない」と思っている部分があります。
でもやっぱり、自己満足な部分もたくさんあると思います。
私は働いてもいるんですが、いろいろな人との繋がりが新たにできるということは、常にいい刺激になります。皆さんの考えや人生を知れるということは、素晴らしいことです。

ー自らの好奇心が発端ではあるけれど、道無き道を切り拓きながら、その過程でお仲間や友人、知人を増やしていって、もちろんご自分の知識も確固たるものとなり、しかもその結果が人類が未来に向けて共有すべき価値を持っているという、なんというか、ある角度から見れば理想的な取り組みなのかなと思います。

島 知らないことを知るということは、とても楽しいことです。でもやっぱり、誰かの人生を変えるかもしれないという責任は感じます。
それだけにちゃんとした事実、根拠がないとできないことなんです。
今回の事件で伊達市の在籍している職員が3人、懲戒処分を受ける予定です。そうやってその人たちの人生を変えちゃうという、それはすごく重いと思います。だからこそ、場当たり的でない対応をしていかないといけない。
「懲戒」というのはそんなに軽くありません。その方々は一生懸命やってきたのにキャリアに傷をつけるわけですから、そこはやっぱりしっかり検証をして、「本当に何だったのか」というところまで行かないと、懲戒処分なんて下してもらったら困るんです。
そうしないと、そもそも本当の指示を下した人が逃げるわけですから。

ートカゲの尻尾切りになってしまう。

島 そうです。だからそこはしっかりやらないといけないし、こちらの責任としても、人の人生を変えるまでいってしまう。
とにかくまだまだ、これからです。論文の撤回はされましたが、その撤回理由に大きな問題があります。このまま終わらせることはできません。責任ある人達が、説明のできないことしないように監視する必要が住民にはあります。



※1【子どもたちの甲状腺がん】
甲状腺検査は、福島第一原発事故による放射性物質の拡散による影響から福島県民の健康の維持、増進を目的に行われている「県民健康調査」の一つで、事故当時18歳以下の子どもを対象に行っています。その結果2020年6月30日現在、252人が悪性ないし悪性疑いのがん(良性1人を含む)と診断されました。県民健康調査検討委員会ではこの結果に対して、「放射線の影響とは考えづらい」と評価しています。
福島県(2021)「参考資料4 甲状腺検査結果の状況」(2021年1月15日付)より
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/422943.pdf

※2【汚染土壌が増えるでしょう】
指定廃棄物とは省令に基づく調査を行ない、福島第一原発事故由来の汚染状態が8,000 Bq/kg超と判明後、環境大臣が指定したものを指します。民間の放射能測定によって8,000 Bq/kgを超えたとしても、行政の測定で確認されない限りは指定廃棄物とはなりません。環境省職員が言った「汚染土壌が増えるでしょう」とは、行政が積極的に土壌測定をした場合、それに比例して廃棄物として処理する量も増えてしまうことを指しています。
「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」(2012年1月1日施行)より。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=423AC1000000110

※3【土壌を運ぶ】
特措法においては、特定廃棄物(指定廃棄物等の総称)や除去土壌といった行政が確認したものについて、無断での運搬(移動)、投棄することを禁止しています。また、行政の委託を受けた事業者以外が事業を行なうことを禁止しています。
第四十六条(汚染廃棄物等の投棄の禁止)
第四十八条(業として行う汚染廃棄物等の処理の禁止)
「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」(2012年1月1日施行)より。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=423AC1000000110

※4【ノウハウはわかっている】
藤川賢(2005)「公害被害放置の諸要因―イタイイタイ病発見の遅れと現在に続く被害―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpkankyo/11/0/11_KJ00007485868/_pdf
藤川賢、渡辺伸一(2008)「公害軽視の論理はいかに生みだされるのか―カドミウム汚染基準をめぐる研究と政策の関係―」http://soc.meijigakuin.ac.jp/fuzoku/uploads/2010/04/38fujikawa.pdf

※5【アウシュビッツ収容所】
アウシュビッツ強制収容所はナチス政権によって建設された最大の複合施設でした。内部にはメイン収容所が3棟あり、そのすべてが囚人の強制労働に使われていました。また、その1つは絶滅収容所としても機能していました。建設はアウシュビッツ(ポーランドのクラクフの西約60キロ)で1940年5月に始まりました。ナチス親衛隊とドイツ警察は1940年から1945年にかけて、少なくとも130万人をアウシュビッツ収容所に移送したと推定されています。そのうち110万人が収容所当局によって殺害されました。
The Holocaust Encyclopedia 「アウシュビッツ (簡約記事)」より引用。https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/auschwitz-abridged-article

※6【ヘルシンキ宣言】
Declaration of Helsinki. 1964年、世界医師会総会で採択された「ヒトを対象とする生物医学的研究に携わる医師のための勧告」をいう。生物医学的研究は、最終的にヒトを対象とした試験によらなければ、実際の医療に寄与するものにならない。現在の臨床試験は、1964年のヘルシンキ宣言を倫理的基盤としている。
「日本薬学会 薬学用語解説」より引用。
https://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi? ヘルシンキ宣言

※7【ムラ】
原子力村(ムラ)。日本においては原子力発電に関連する電力会社、原発機器メーカー、大学等研究機関、所管行政官庁等の産官学のメンバーは一種の利権共同体を形成しているとし、その共同体のことを揶揄して言うコトバ。それ以外に原子力発電が立地している市町村を指していうこともある。
「EICネット(一般財団法人環境イノベーション情報機構)環境用語集」より引用。
https://www.eic.or.jp/ecoterm/index.php?act=view&serial=4217