原発事故被害の「否認」を乗り越える

3 専門性と社会的圧力による語りにくさ


2020 年 7 月開催予定だった東京オリンピッ クに間に合わせるように、次々と避難指示解除が進められていきました。出典: 文部科学省ウェブサイト 内閣府 原子力被災者生活支援チーム(2019)「資料 3 避難指示区域の状況等について」(2019 年 7月)より。

事故とその被害の深刻さについて語らないことが「当たり前」となっている状況の只中に生きていると、この問題は意識化しにくいかもしれません。しかしもし他の国で、同じような状況が出現しているのを観察者として眺めたならば、そうした状況は疑問視され、なぜなのかについての検討が始まるはずです。
原発事故とその被害について、特に一般市民が語ることを困難にしている要因の一つは、極度の専門性に由来する「難しさ」にあると思います。原子力発電システムの詳細や、長期間にわたる低線量被ばくの健康影響について精通している人は、医師や研究者といえども少数でした。専門的な知識がない大多数の人々にとっては、「専門家」による分かりやすい解説に頼ることになりますが、その「専門家」の解説の多くも、専門知識がなければ分かりづらいことが多かったのです (※11) 。さらに低線量被ばくの健康影響をめぐっては、「今回の事故に由来する被ばく量では心配する必要はない」とする見解と、「低線量被ばくであっても健康影響は否定できず、極力避けるべき」とする見解に分かれて議論が闘わされる状況が続いており、結局どのように理解すればよいか分からない、混乱した状態に人々は取り残されてしまいました。
さらに日本政府や福島県などの公的機関からは、「事故の収束」「安全宣言」「汚染水はコントロールされている」「福島の復興」「避難指示解除」といった言葉が数多く発信されてきたために、まるで事故とその被害が収束したかのような印象を与え続けてきました。そうした「前向き」な議論に対して、「本当に安全なのでしょうか」といった不安を吐露すれば、「専門的知識のない、良く分かっていない素人が根拠のない不安を煽っている」「せっかく多くの人が努力しているのに、復興の足を引っ張るのか」といった批判が繰り返されました (※12) 。すなわち、人々が原発事故やその被害の可能性について不安に感じていたとしても、その問題についての不安を、言葉にしにくい状況が続いてきたのです (※13) 。

※11【分かりづらい】
その一例を挙げれば、東京電力が提供している福島第一原発に関する情報提供サイトの内容は、専門的知識がなければ理解しづらい。また汚染水に関する専門のポータルサイトも、専門用語を多用した技術的な解説が続き、実際に汚染水が止まっているのかいないのか、地下水くみ上げ量が減少しているのかいないのか、といった最も重要な情報は明示的に記載されていない。
出典:東京電力ウェブサイト「処理水ポータルサイト」https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/ より。

※12【批判】
政府の大臣からも、不安を抱える人々、帰還を選択しない人々への批判的な言動が相次いできた。事例としては、2016年2月の丸川珠代環境大臣(当時)による「反放射能派」発言や、2017年3月の今村雅弘復興大臣による「ふるさとを捨てることは簡単だが、戻って、とにかく頑張っていくんだという気持ちをしっかり持ってもらいたい」等の発言がある。
出典:毎日新聞「丸川環境相『言葉足らず』と陳謝 被ばく線量めぐり」(2016年2月9日付) https://mainichi.jp/articles/20160210/k00/00m/010/026000c。復興庁ウェブサイト「今村復興大臣閣議後記者会見録(平成29年3月14日(火)」 より引用。

※13【言葉にしにくい状況】
出典:清水奈名子(2016)「核・原子力 話しにくい原発事故の被害」『教養としてのジェンダーと平和』法律文化社、168-173頁。


原発事故被災地の復興を応援する取り組み。
出典: 国立国会図書館ウェブサイト アーカイブ 農林水産省(2011.4)「食べて応援しよう!」より。


それと同時に政府からは、風評被害の発生もアナウンスされました。出典: 国立国会図書館ウェブサイト アーカイブ 農林水産省(2011.5)農水省 webマガジン「aff(あふ)2011年5月号」今、私たちにできること 風評に惑わされない生活をしよう!より。