原発事故被害の「否認」を乗り越える

4 原発事故とその被害を否認する社会


近藤駿介(2011 年 3 月 25 日)「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」を基に作成。原発事故が収束できなかった場合の強制移転の区域(170 km)と移転希望を認める区域(250 km)のシミュレーション。
マップデータ:© OpenStreetMap contributors

被害について語りにくい状況をさらに深刻化させているのが、原発事故やその被害に関する「否認」という問題です。否認とは、もともと精神科医であったジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が考案した概念であり、人間がもつ心理的な防衛機能として説明されてきました。すなわち、知覚はしているが、それを自分で認めてしまうと不安を引き起こすような現実を、そのまま現実として認知することを拒否する心理のことを意味します。日常生活において、誰もが経験しうるこの否認は、現実を自覚している自我と、その現実は受け止めきれないとして認めない自我とが分裂した状態にあることから、否認する現実が重大な問題であればあるほど、病的な症状となるのです(※14) 。
福島第一原発事故についても、人々が受け止めきれないが故に発生する集団的、社会的な否認の問題として分析が行われるようになっており、優れた先行研究が既に複数刊行されてきました。その中でも、破滅的な事象についての社会レベルでの否認が、今回の原発事故に限らずに歴史的に繰り返されてきたことを明瞭に浮かび上がらせたのが、『永続敗戦論』(2013年)を著した白井聡であり、『脱原発の哲学』(2016年)を共同で執筆した佐藤嘉幸と田口卓臣です。
白井によれば、アジア・太平洋における「あの戦争」の「敗戦」を、日本では政策決定者だけでなく国民も含めて「終戦」と言い換えることで、敗戦という事実を否認し続けてきた結果、敗戦の帰結としての対米従属構造が永続化してきたことが、現代の日本社会における諸問題の根源にあると言います。この問題を「永続敗戦」と命名したうえで、その連続線上の問題として発生しているのが、福島第一原発事故の否認だと指摘しています(※15) 。
原発事故当時首相を務めていた菅直人の著書には、福島第一原発が最悪の事態を迎えた場合には、東日本地域が壊滅する被害が予想されていたというエピソードが紹介されています(※16) 。この証言を踏まえれば、日本国民だけでも310万人以上もの被害者を出した戦争における敗戦と、今回の原発事故は比肩しうるに足る大惨事となる可能性があったし、前述したように現在も事故は収束していません。しかし、まるで事故が収束し、日本社会は原発事故を克服できたかのような言説が展開され、さらには原発再稼働が進む現在の状況を事故とその被害の「否認」として説明するこの分析には、説得力があります。

※14【病的な症状】
出典:氏原寛他編(2004)『心理臨床大事典 改訂版』培風館、1060、1061頁。

※15【福島第一原発事故の否認】
出典:白井聡(2013)『永続敗戦論』16‐20頁。

※16【東日本地域が壊滅する被害】
出典:菅直人(2012)『東京電力福島原発事故 総理大臣として考えたこと』幻冬舎、19‐29頁。

5 否認する社会とその歴史的連続性


明治政府の「殖産興業・富国強兵」政策のもと、日本初の公害事件となったのが足尾銅山鉱毒 事件でした。その顛末を見ると、福島第一原発事故との相似性を見て取ることができます。写真は、足尾銅山跡に残った施設です。

同じく、「従来の事故の規模とは比較し得ない原子力=核事故は、唯一、戦争とのみ比較可能なのである(※17) 」ことを明瞭に指摘しつつ、原発事故という終末論的大惨事の否認について議論しているのが、佐藤・田口です。哲学に軸足を置きつつ広範な学問分野を接合させながら、原発事故がもたらした問題の構造と、それらを構成する言説の分析が徹底的に掘り下げられている画期的な共著のなかで、まず近代技術批判で知られるドイツ系ユダヤ人の哲学者ギュンター・アンダース(Günther Anders)による1954年の論文「核アポカリプスと不感症の起源」との関連で、否認の問題が取り上げられます。同じく1954年に発生したビキニ水爆実験に触発されたこの論文でアンダースは、人間の想像力には限界があり、人間と世界の全体的な破壊という核戦争の帰結、すなわち「核アポカリプス」を十分に想像する能力を持っていないからこそ、人間は核兵器を廃棄することはできないと述べているのです(※18) 。
佐藤・田口は原発事故に関しても、同じ意味で人間は原発事故の破滅的な帰結を想像することを恐れ、「その可能性を(精神分析的な意味で)『否認』する (※19)」と指摘します。現代の日本の文脈に即して言えば、既に事故は起きてしまったものの、事故は収束し、乗り越え可能であった、そしてその被害も重大ではなかったと考えることを欲するがゆえに、被害の報告が出現しても、まずは否認する思考が優先されることになるというのです。
佐藤と田口の著書では、この人間の想像力の限界に由来する否認に加えて、国家や東京電力のような巨大企業に代表される資本による「イデオロギー的再認・否認」というルイ・アルチェセール(Louis Althusser)の議論も援用されています(※20) 。すなわち、「自らが経済的、軍事的な目的で構築した原発システムを維持し、発展させるために、諸主体に働きかけ、『原発は安全であり、事故を起こしてもその影響はほとんどない』という『イデオロギー的再認/否認』のメカニズムに従って諸主体の認識を構成しようとする(※21) 」問題であり、いわゆる原子力の「安全神話」は、国家と資本による「安全」イデオロギーとして意図的に生産されてきたというのです。
そのうえで重要な点は、個人の創造力の限界に加えて、政・官・財・学の連携によって生み出される組織的な働きかけに由来する否認という問題構造の、歴史的な連続性です。それは「『戦前』から今日に至るまで、公害と公害の現実を『否認』する構造が(フロイト的な意味で)『反復脅迫的』に『回帰』し続けてきた(※22) 」ことに表れているというのです。明治時代に発生した足尾銅山鉱毒事件をはじめ、その後の代表的な公害病とされるイタイイタイ病、四日市病、水俣病のいずれの事例においても、殖産興業、富国強兵、戦後復興と経済成長、国土開発といった国家目標が優先される一方で、公害の現実は長らく否認されてきました。それらと同じ否認という現象が、福島第一原発事故後においても再び発生しているというのです(※23) 。

※17【戦争とのみ比較可能】
出典:佐藤嘉幸・田口卓臣(2016)『脱原発の哲学』人文書院、37頁。

※18【「核アポカリプス」】
アポカリプスの語源はギリシャ語apokalypsisであり、「黙示」を意味する。黙示とは「隠された意味が開示される」ことを意味するが、古代ユダヤから現代に至るまでの黙示思想は、この世の終わりとしての「終末」を論じる文脈において用いられることが多い。
出典:大貫隆他編(2002)『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、1110、1111頁。ギュンター・アンダース (青木降嘉訳)(1994年)『時代おくれの人間(上巻)―第二次産業革命時代における人間の魂』、法政大学出版局、281、282頁。

※19【「その可能性を『否認』する」】
出典:佐藤・田口(2016)『脱原発の哲学』人文書院、38頁。

※20【資本による「イデオロギー的再認・否認」】
出典:ルイ・アルチェセール(西川長夫他訳)(2000年)「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」『再生産について(下巻)』平凡社。

※21【諸主体の認識を構成しようとする】
出典:佐藤・田口(2016)『脱原発の哲学』人文書院、94頁。

※22【公害と公害の現実を『否認』する構造】
出典:佐藤・田口(2016)『脱原発の哲学』人文書院、94頁。

※23【再び発生している】
出典:佐藤・田口(2016)『脱原発の哲学』人文書院、第四部第二章に詳しい。


6 原発震災後の学問とその社会的責任

以上のような社会的な否認の問題は、勿論日本に限られた現象ではありません。戦争犯罪や環境問題、HIVエイズ等の感染症対策の文脈においても、社会的な規模での否認が問題を深刻化させるという現象が世界各地で指摘されており、心理学や政治学等の分野で研究が続けられてきました(※24) 。本稿で取り上げた白井と佐藤・田口の両書に共通しているのは、日本における否認をめぐる社会的な構造が、戦前から戦後にかけて連綿と続いてきたことを明らかにした点にあります。深刻な被害をもたらしている事象の否認が長期間続いてきたために、発生している被害が不可視化されるだけでなく、加害責任は曖昧にされると同時に、破滅的な事象であっても克服可能であるとして過小評価されているのです。その結果、かえって被害の拡大を招き、さらに将来にわたって同様の被害が繰り返されることを防ぐことができないといった問題が発生しています。
もし破滅的な出来事を前にして、学問に果たすことのできる役割があるならば、白井、佐藤、田口等の業績が示すように、不可視化されている問題群と、その構造的要因を明らかにすることなのではないでしょうか。しかしながら、原発事故直後に適切な情報提供や問題分析ができなかったばかりか、むしろその誤りが事故によって明らかになったはずの「原発の安全神話」を支え続け、または新たに「放射線安全神話」とでも表現するほかない言説が作り出され、被害の過小評価を助ける「専門家」が事故後も存在してきた。その帰結として、学問全般に対する人々の信頼が失われてきたことは、ここで繰り返すまでもないでしょう(※25) 。この文脈で学問の社会的責任が特に問われるのは、「安全神話」を積極的に支えようとする医学、生物学、物理学、公衆衛生学等の一部の研究者であるが、同時に人文・社会科学分野の研究者が原発の危険性について十分に踏み込んだ議論をしてこなかった問題も、また批判されてきました(※26) 。
放射能汚染を受けた地域で、子どもたちの健康を守るための自発的な活動を続けている関係者から、「学問とは、いったい誰のために、何のために存在するのですか」と問われたことがあります。この問いは学問分野を問わず、原発震災後に生きるすべての研究者に向けられた問いだと思います。特にこの事故が、まだ生まれていない世代も含めた多くの人々の健康や生活を長期間にわたって脅かし続け、さらには地球環境と生態系にも深刻な影響を与える問題である以上、学問分野を超えて対応する必要があることは、言うまでもないはずです。医学者として水俣病問題に長年取り組んできた原田正純は、水俣病を医学という狭い分野の問題として捉えることの問題性を、次のように指摘していました。

※24【戦争犯罪や環境問題、HIVエイズ等の感染症対策】
出典:Stanley Cohen(2001)States of Denial: Knowing about Atrocities and Suffering, Polity Press. Pieter Fourie and Melissa Meyer(2010) The Politics of AIDS Denialism: South Africa's Failure to Respond, 1st Edition, London and New York: Routledge.

※25【人々の信頼が失われてきた】
この問題については、以下の文献に詳しい。
出典:安富歩(2012)『原発危機と「東大話法」 ―傍観者の論理・欺瞞の言語』明石書店、影浦峡(2013)『信頼の条件 ―原発事故をめぐることば』岩波書店。

※26【議論をしてこなかった問題】
出典:石田雄「原発事故で痛感させられた社会科学者の社会的責任――何をどう分析するか」『大原社会問題研究所雑誌』№641、2012年3月号。小林傳司「トランス・サイエンス時代の学問の社会的責任」『学術の動向』2012年5月号。

水俣病は一地方に起こったお気の毒な特殊な事件ではない。水俣病はいま私たちが生きている現代社会のきわめて象徴的・普遍的な課題を内在させている。そこに、社会のしくみや政治のありよう、専門家の役割や学問のありよう、そして自らの生きざままで、あらゆる問題が映し出される。それほどに水俣病は底深く、普遍性をもった事件である。長い水俣病裁判において延々と続けられた大きな争点の一つが病像論であったことでもわかるように、これほど政治的・社会的な事件(※27)を医学の症候学という狭い枠に閉じ込めてしまったことは不幸であった 。

チェルノブイリ原発事故以降最大の過酷事故が起きてしまった日本国という現場において、「それは私の専門分野ではないから」という理由によって、もし同時代人である研究者、専門家、ジャーナリストが事故に向き合わず、派生する問題群について語らない姿勢をとり続けるとすれば、意図していないとしても社会的な否認の構造を支えることになってしまいます。今まさに、学問の社会的な責任が問われていると考えています。

※27【政治的・社会的な事件】
出典:原田正純(2007)『豊かさと棄民たち ―水俣学事始め』岩波書店、121頁。


伊達市の市政アドバイ ザーとなった専門家は広報誌に、食品基準値を超える放射性セシウムが検出された山菜だとしても、それを食べないのは山の神様に申し訳ないと寄稿しました。伊達市(2013)「だて復興・再生ニュース 第 1号」(2013年5月)