原発事故被害の「否認」を乗り越える

7 被害を否認しない人々


文部科学省及び栃木県による航空機モニタリングの結果(栃木県内の空間線量)文部科学省(2011)「文部 科学省及び栃木県による航空機モニリングの測定結果について」報道発表資料より(2011 年 7 月 27 日)


政府は福島第一原発から、おおむね半径100km圏内の土壌マップを作成しましたが、市民が作成した土壌マップは東日本17 都県を網羅していました 。出典 :『 図説17都県放射能測定マップ+読み解き集』(2018年11月)


本稿でさらに注目したい点に、福島県外の低認知被災地(※28)における放射能汚染問題があります。文部科学省が公表している汚染マップを一見すれば、原発から放出された放射性物質は、福島県内にとどまっていたわけではなく、事故当時の風向きや雨、地形などの影響を受けつつ、県境を超えて広範囲に拡散したことは明らかです。
筆者が暮らす栃木県は、福島県の西隣に位置しており、事故当初の空間線量率や土壌汚染のデータで比較すれば、福島県中通りや浜通りの一部と変わらない汚染を経験しています。実際に環境省も、年間の追加被ばく線量が1 mSv(ミリシーベルト)を超えると計算した地域を、「汚染状況重点調査地域」として2011年12月に指定していますが、その範囲は福島に加えて、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の合計7県、104市町村にものぼりました(※29) 。
しかしながら、原発事故の被害はまるで福島県内のみにとどまっているかのように、政府による避難地域の指定は福島県内に限定され、除染の方法や健康調査の有無に関しても、福島県内と県外の汚染地域の間に差がつけられたまま政策が実施されてきました。また報道のなかでも原発事故被害は「フクシマ」の問題として切り取られがちであり、県境を超えた汚染問題は十分に取り上げられていません。
その背景には、被害地域の認定範囲を最小限としたい政府や東京電力側の思惑とともに、県境を超えて被害を受けた自治体、企業、住民もまた、被害を認めることに消極的な姿勢をとってきたことがありました。放射能汚染を認めれば、地域の産業が影響を受け、経済的な損失が発生する可能性があります。少子高齢化が進むこれらの地域からも避難を希望する世帯が増えれば、更なる人口減少を覚悟してなくてはなりません。または低線量被ばくを避けるために移住を希望したとしても、避難地域に指定されていない低認知被災地の人々を対象とした支援はほとんどないのが現実でした。避難をすることができない人々のなかには、汚染地域に住み続けることによるストレスを感じることに疲れて、放射能汚染についてはなるべく考えたくないと思う人々もいます。また福島県の人々が経験してきたように、「○○県の人々も被ばくしている」といっていじめや差別を受けるのではないか、と心配する声も耳にする。これら複数の思惑が交錯しながら、低認知被災地においても往々にして被害は語られない問題となっているのです(※30) 。
こうして福島県の内外を問わず、原発事故とその被害の否認が発生している一方で、被害に向き合い、継続的に対策をとり続けてきた人々も存在してきました。被災地での調査を進めるなかで浮かび上がってきたのは、原発事故とその被害を否認しない人々による粘り強い営みが、人々の権利と安全を保障するための対策を実現し、福島県内、県外の違いを超えて、被災者同士が支え合うネットワークを築いてきたという事実です。
それらの活動は、市民同士の自発的な情報交換や学習会から始まり、汚染状況の調査や測定活動、調査結果の情報開示と行政への提供、政策提言、さらには民間による甲状腺検査の実施や、低線量被ばくの影響を受けない地域への保養プログラムの運営など、多様な分野で続けられてきました(※31) 。その集大成の一つが、ふくしま30年プロジェクトが密接に関わってきた「東日本土壌ベクレル測定プロジェクト」の集大成としての、『図説17都県 放射能測定マップ+読み解き集 (※32) 』です。各地の市民からセシウムによる土壌汚染の測定について要望があったにもかかわらず、日本政府は広範囲でのきめ細かな測定を行ってきませんでした。そこで、各地の市民測定所が市民たちと協力をして土壌サンプルを集め、測定し、マップと読み解き集の作成を実現したのです。自分たちにとって必要な情報を集めるだけでなく、その結果を社会に広く発信をすることは、語りにくい被害について話し合う機会をつくっていくうえでも非常に貴重な取り組みであると言えます。市民活動を続ける関係者への聞き取り調査の中で聞いた、「放射能が県境を越えて広がっているのだから、そこに暮らす私たちも県境を越えてつながって対応する必要がある」という言葉が、今でも大変印象に残っています。こうした地域を超えたつながりに注目しながら、この危機的な状況を否認せずに向き合うために必要な条件を今後も明らかにしていく必要があると考えています。

※28【低認知被災地】
低認知被災地とは、原口弥生の定義によれば「社会的認知度が低く、また制度的にも被災地として十分に取り扱われていない地域」を指す。
出典:原口弥生(2013)「低認知被災地における市民活動の現在と課題 : 茨城県の放射能汚染をめぐる問題構築」日本平和学会編『「3.11」後の平和学』早稲田大学出版部、9‐39頁。
※29【「汚染状況重点調査地域」】
出典:環境省(2011)告示第108号(12月28日付)。環境省(2012)告示第13号(2月28日付)。その後一部解除されたため、2021年1月現在では88市町村となっている。

※30【語られない問題】
清水奈名子(2016)。

※31【保養プログラムの運営】
保養に関する取組みについては、次の文献に詳しい。出典:疋田香澄(2018)『原発事故後の子どもの保養支援 ―「避難」と「復興」とともに』人文書院。

※32【『図説17都県 放射能測定マップ+読み解き集』】
出典:みんなのデータサイトマップ集編集チーム(2018)『図説17都県 放射能測定マップ+読み解き集』みんなのデータサイト出版。


おわりに 次世代のために記録を残す

 原発事故から1年経った2012年以降、勤務先の大学では「3.11と学問の不確かさ」と題する講義科目を立ち上げ、多様な分野を研究する教員と共に原発事故について考える授業を行ってきました。事故後に実施してきた避難者や被災地の住民への聞き取り調査をまとめた「証言集」を教材として作成し、この授業のなかで学生たちと毎年読む作業を続けています。証言集を作ろうと考えた理由は、記録が残されない被害は、数十年が経過すれば、「記録が残されていないので、その様な被害はなかった」ことにされてしまうことを危惧したからでした。実際に事故から時間が経過し、当時は小学生だった世代が大学生となっている現在、「事故についてよく知らない」と話す学生は少なくありません。時間の経過とともに、更なる被害の不可視化と否認が進む可能性があります。
 さらに記録を残すうえで忘れてはならないのは、次世代に対する責任(※33)という視点です 。上記の授業の初回には、なぜこの科目を受講しようと思ったのかと学生に話してもらうようにしています。原発震災から8年目を迎えた2018年の授業では、「なぜあの時、両親が子どもであった自分を避難させたのか、その理由を知りたいと思った」ことが、受講の理由であると話す学生がいました。その学生は栃木県に暮らしていましたが、放射能汚染を受けた地域であったため、ご両親が子どもたちの避難を決断したと話していました。
その言葉を聞いて、原発事故の記録を残すことの重要性を改めて感じました。戦争の被害と同じように、原発事故の被害も直接経験した世代がこの世を去れば、事故と被害に関する多くの記憶が失われていくことになります。しかし原発事故の影響が数十年、数百年単位で続くことを考えるならば、次の世代に事故と被害の記録を残すことが、事故を起こしてしまった世代が果たすべき、最低限の責任なのではないでしょうか。原発事故とその被害の不可視化、過小評価、そして否認が続くなかで、記録を残すことは容易なことではありません。しかしだからこそ、その営みを意識的に続けている「ふくしま30年プロジェクト」には、大きな意義があると考えています。

※33【次世代に対する責任】
出典:清水奈名子(2020)「原発事故被害を伝えていくために ―被害の記録の必要性と困難,そして想像力」『科学』2020年3月号。